みなさんおばんです。
最近『白髪が増えたね』と言われて『苦労しているもんで!』という返しが自慢になってきた感のある篠原です。
さて大好評、になるはずの『チャットレディ行動経済学』第二弾です。
今回は『ピーク・エンド効果』について。
前回は初頭効果と親近効果、でした。似たような内容ですが似て非なるものですのでご安心を。
無駄な時間は取らせません。
私、超合理主義でありながら、勤務時間は超非合理的なほど長時間滞在でございます。
先日会社に20時間以上滞在しておりました。もはやどちらが家なのかわからないレベルにございます。
余談はさておき、ピーク・エンド効果と言いますのは簡単に申し上げますと、
「人はある出来事に対して、『ピーク(絶頂時)もしくはエンド(終了時)にどうだったか』で判断する」
という法則でございます。
このピーク、に関しては先に述べた初頭効果、エンド、に関しては親近効果が近いかも知れません。
しかしちょいと違いますのが、例をあげますと・・・
『エクソシスト(ホラー映画)だけを2時間見た』場合と『エクソシストを2時間見た後にアダムスファミリーを見た』場合に
不快感の程度を聞いたとします。
とするとほとんどの人が後者のようにホラー映画&コメディ映画を見た方が不快感の程度が低い、と言う結果になります。
『当たり前じゃん!』とみなさん思われるでしょう。
では何故当たり前なのでしょうか?
問題は「どちらも不快なホラー映画を見ているにも関わらず」という点にあります。
全て数字にするとわかりやすいかも知れません。
ホラー映画=「-10」
コメディ映画=「+10」
としますと、プラスマイナスで“0”になります。
もう少し別な例えでお伝えしましょう。
「ものすごい辛いスープカレーを1杯だけ食べた」
のと
「ものすごい辛いスープカレーを1杯食べた後に更にそこそこ辛いスープカレーを1杯食べた」
のとではどちらが辛い印象が強いでしょうか?
これは前者の「ものすごい辛いスープカレーを1杯だけ食べた」場合なんですね。
後者は、ものすごい辛いスープカレーを1杯食べた後に『更に』そこそこ辛いスープカレーを食べたわけです。
かなり胃袋をやられていると思うのですが不思議と「ものすごい辛いスープカレーを1杯だけ食べた」場合の方が
辛い印象が強く残るものなんですね。
つまり何が言えるか、と言いますと・・・
「人は合計ではなく、ピーク(Max)とエンド(最後)で物事を判断する」
ということなんですね。
ご自身の例で思いだしてみて下さい。例えば高校生、中学生の頃、より良い思い出、もしくは嫌な思い出、あろうかと思います。
また卒業時どうだったか、卒業時までいかなくとも最後の方はどうだったか、ある程度の印象があろうかと思います。
その印象は途中の節々より強い印象として残りやすいものなのです。
旅行で言うと一番楽しかった思い出と最後の日、時間の印象が一番その旅行がどうであったか、を決定づけるものとなります。
よくありがちなのが「一生忘れられない熱い恋をした」ということ、皆さんございますでしょうか?
学生時代はモテモテでクラスの女子より女子の母親に「うちに来なさい」というラブコールの絶えなかった篠原ですが、
皆さんも学生時代、もしくは今ももしかすると熱い恋をしていらっしゃるかも知れません。
これは何故なのか!?
皆さん特に疑問に思っていらっしゃらないでしょう。
しかしズバリ端的に指摘させていただきますと
「アツく恋をして、アツいまま終わった」
からに他ならないのです!!
これが
⑴熱く恋をしたものの最後はボロカスだった
でもダメですし
⑵しょぼい始まりで途中良かったもののフェードアウトした
でもダメなんですね。
どちらかというと「終わり」が肝心で途中良い恋をしていても終わり方が最悪だと
全てダメ、みたいな印象で終わってしまいます。
仕事もそうですね。私過去に一部上場企業に2社在籍しておりましたが
どちらでも飽き性がたたって、途中結構いい仕事をしていたものの
途中で飽きてしまって上司の評価も最後微妙、みたいになってしまっています。
それでも持ち前のギャグセンスで世間を上手に渡り歩いて来ましたが飽きっぽさ(詰めの甘さ)が自分の評価を
下げてしまっていたかな、と思っちゃいますね。
しかしわかっていてもやめられない、これが人のサガ、というものではないでしょうか。
いいわけでございます。
それでは本日はここまで。ご清聴ありがとうございました。
ダメ出しで「ピーク・エンドの法則」を旧日本軍の暗号に例えたいと思います。
「ニイタカヤマノボレ」→「トラトラトラ」→「ツクバヤマハレ」
以上です。それではご一緒に。
「大日本帝国万歳」